「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
とはアインシュタイン博士のものとされる格言です。
この言葉通り常識が偏見であるならば、その偏見を構成する環境によって、常識などというものはいとも簡単に変わってしまうものなのかもしれません。
就職を機に福岡から上京してきた身としては、まず言葉がありました。
福岡、もしかしたら九州全域、関西も含むのかもしれませんが、ものを片付けることを「なおす」ということがあります。「兄ちゃんその雑誌読み終わっとうなら、なおしとってー」と、そんな具合です。しかし、関西より東の地域では「なおす」はもっぱら「修理する」という意味合いでしか使わないそうですね。
別の例としては、ゴミの収集時間もあるでしょうか。詳しい方はご存知かもしれませんが、福岡市ではゴミの収集が真夜中に行われます。
私個人でいうと、18歳で大牟田市で一人暮らしを始めるまでゴミ収集が夜に行われるのが常識だと思っていました。有明高専入学、15歳の時から福岡市を離れていたのですが、当初は寮に入っていました。それでゴミ収集の時間についても、いざ自分でゴミを出すようになるまで気づかなかったのです。
日本と海外という軸では、言葉の違いの他に文化の違いがあるとよく言われます。信仰、知識、法律、慣行……文化とは、ある面では常識にも通じるのではないでしょうか。
おそらく常識は、私たちの言動や判断を知らないうちに制限しています。もし常識というものが普段見えない無意識下のものであるとすれば、私たちは一体どう常識と向きあえば良いのでしょうか。
多くの方にとって、「常識」のもっとも身近な例であるだろう、働き方に目を向けてみましょう。
4月頃、BASEのえふしんさんが書かれた『新入社員の転職戦略』という記事を読みました。※
その年、その月に入社したであろう新入社員に向けて転職戦略を書くとは「えふしんさん、なかなかRockだなぁ」と思いつつ、事実として私は新卒4年目で既に二度、退職を経験しているので、実は割と多くの方にとって他人事ではないのかもしれません。
5,6年前に作られた『Did you know』という動画の中で「今の学生は38歳までに10〜14の仕事につくと推測している」という話が出てきます。
これはアメリカの話ではありますが、『踊る大捜査線 THE MOVIE』の中で『アメリカで起こった事件は必ず5年後日本で起こる』という名言が出たことを考えると、やっぱり他人事じゃないのかもしれません。
私たち日本のスタートアップ企業全体が悩まされる問題の一つに「嫁ブロック」があります。「嫁ブロック」とは、大企業に勤める方がスタートアップ企業に転職を考える際に、配偶者の方に主に不安定さを理由に猛反対されて、結局採用につながらないことを言います。
こればかりは私自身が家庭を持っているわけでないので「自分の人生を他人に決めさせるなんてなんと大胆な!」などと適当なことも言えないのですが、すでにご家庭を持たれている方におかれましてはどんなところでしょうか。
ここで面白いのは、「大企業」「スタートアップ」という定義ですら、人によって違うらしいというところです。
スタートアップで働く私たちにとって、グリー、楽天、リクルートという会社は文句無しに「大企業」に分類されます。どこまでが「スタートアップ」で、どこからが「大企業」と言葉に明確な定義があるわけではないですが、それが共通認識、常識としてあります。
が、聞くところによるとこれら「大企業」ですら、嫁ブロックに合うことがあるというのです。つまり、人によっては私たちスタートアップの人間が見る「大企業」が「スタートアップ」に見えているのですね。
何をもって、どの視点をもって「偏る」というのかはありますが、時に常識なんていうものは都合よく形を変えてしまいそうです。
つまり、「ああであるからこうなった」ではなく「そうなりたいからそうなる」という考え方です。それだけきくと、いわゆる「引き寄せの法則」に近いものを感じますね。
このアドラー心理学に照らし合わせて考えると嫁ブロックも「転職したくない」という目的ありきで、後から「配偶者の方に反対されたから」という理由を付け足した、と考えることが出来るのでしょうか。
アメリカでは、スタートアップ企業によって昔からの企業の仕事がなくなる、ということが起きているそうです。UberやAirbnbというサービスが有名で、前者はタクシー業界を、後者は宿泊の常識を変えました。
従来製品の価値を破壊するかもしれないが全く新しい価値を生み出すことを、「破壊的イノベーション」といいます。iPhoneやFacebookは、それぞれ携帯電話や従来のコミュニケーションを破壊したかもしれません。しかし世界を変えました。では、私たちは何を変えていけるのでしょうか。
常識と呼ばれるものを破壊(disrupt)するのがスタートアップの醍醐味です。であるのに、多くのスタートアップが最初の段階であるメンバー集めに苦労しています。
たまに「破壊的イノベーションはアメリカのシリコンバレーだから出来るのだ。日本は旧態依然の社会がイノベーションを阻害しているため、スタートアップが活躍できるような土壌がないのだ」という話を聞きますが、私はそうは思いません。
そもそも国も言葉も文化も違うのに、同じ判断軸で見るからいけないのです。そんな弱みがあるのであれば、そこから目を背けず、立ち向かっていくべきだと考えます。
そもそも国も言葉も文化も違うのに、同じ判断軸で見るからいけないのです。そんな弱みがあるのであれば、そこから目を背けず、立ち向かっていくべきだと考えます。
明治時代の文明開化や、近代文学、高度経済成長がそうだったように、私は日本には日本の破壊的イノベーションのやり方があるのではないでしょうか。
「常識に不満があるなら、変えていけばいい」
シンプルな話だとは思いませんか?