「できる」は「やりたい」と違う、ないしはやりたい仕事の見つけ方

みたいなことを考えております。別に今の仕事が嫌なわけではないですよ。評価もしていただいているしマンネリしているわけでもない。

あくまでこの不安というかモヤモヤというかは外部に起因するものではなく、自分の内面に起因するものの気がしています。現状自分の時間の内、一番割合を占めている仕事について必要なことだからやるし、たまたまできてもいるのだけど本当にそれでいいんだっけ?みたいな。

具体的な例をあげると、エンジニアだったらRubyKaigiのようなカンファレンス、当然出して発表したいですよね。発表できると格好いいですよね。先日CFPの締切と結果発表があったのですが、周囲のエンジニアはちゃんと出している方もおるわけです。そして受かって今度発表する事になった方もいる。

一方自分はというとネタがないというのもありますが、出すという発想すらなかったのですね。ではその間何をしてたかというと、何もしていないということはなくって、自分のチームさらには開発チームがどうやったらスケールするかとかチームの運営とか採用活動のあれこれとか、そんなことを考えたりアクションをとったりしてたわけです。結局出さない言い訳か。

つきつめれば、時間という有限資源の使い方でどこに自分の時間リソースを使うのかということなのですが、そのための選択肢をすべて洗い出せているわけではないのではという不安がまず1つ。また別の視点では時間を使うあらゆる選択肢を出したとして、決断していけるのだろうかという不安が一つ。

一般に、実務経験をそこそこ積んで一人前に仕事ができるようになった、いわゆるシニアなエンジニアのキャリアのとり方としてスペシャリストで行くのか、マネジメントで行くのかという話があります。簡単にいうと前者は技術に特化する、後者はチームなど大人数での成果を最大化する方向で事業に貢献していきますよ、というところですが。

実は私でいうと、エンジニアとしては多くはないようなのですがどちらかというと後者、マネジメントに興味がある(のだろう)と思っています。原体験が高専に在学中のマネジメントというかチームワークが最大限にワークしたらどうなるのだろうというところに興味があるのです。大学院進学の際、NAISTと九州大学のQITOで迷って後者に決めた際も決め手はPBLというプロジェクト推進型の講義形式のカリキュラムがあることでしたしね。

一方、高専というモノを作ってなんぼの世界にいたからかモノを生み出すことに対する面白みというか尊敬はあって、自分は管理はするけど手を動かさないという立場を良しとしない心持ちもすごくあります。

であれば、技術も分かるマネジメントとしてやれば良いのではないかという話になるのですが、実際問題としてベンチャー的な会社だとマネジメント100%で、まったく開発をしないという道は特にミドル層には存在しないのです。そう考えるとSoftware Engineerという軸で自己紹介するとして「RubyKaigiで登壇しました」と「チームのリーダーやっていました」であれば圧倒的に前者が強い(すごそうに聞こえる)。

なんなら後者は「バイトリーダーやっていました」と何ら変わりはないのではないか。響きも近いし。それが今自分がやってることに対しての不安となり、怖さの原因となる。

もう少し整理するとちょうど「エンジニアリングマネージャのキャリアについての悩み」のようなところに落ち着くのかもしれませんね。

自分が今向き合いたいのは、あらゆる不安や悩みはあるのだけれどそれらに対する解が見つけられないまま、それでも時間だけは進み続ける状況に対する行動です。

20代の頃は様々試してみるという行為自体はすごく意識していて、それ故ちょっと違うと思ったら環境を移そうと考えていたし実際にそうもしてきました。それは30歳になるまでというざっくりとしたマイルストンがあっての20代というところで、いざ30代になってみると次はどうしよう、となる。

自分の方向性について20代の内で決着をつけていたと思っていたのですが、やはり自分を取り巻く状況が変わると迷うし悩みます。そんな自分自身で大丈夫か?というところに対して情けなさというか強く出られないことに対するもどかしさを感じているのです。

少なくとも、ただ流される(できるから任される)だけだとよくないなというのは分かっていて、先般の登壇のように公私共に普段と違うことをしてみようとはしています。ちょうど漱石先生が、

あなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸である

といっている邁進の状況かもですね。そう思うと少しでも動けていることは悪くないのかも。何かしらの解が出るのは、もう少し時間が必要なのかもしれません。