失敗を認める

時には強がることも肝要ですが、無理なものは無理であったりして。ダメになっているものにいつまでも拘泥していると取り繕う方に余計な力を使っているというのはよくあることです。

他人の捉え方や精神状態に気を配るように、自分自身にも気をかけてあげるべきです。さもなくば結局、気を遣わせてしまったり、心配をかけてしまったりすることになります。自分が思う以上に、他人は自分を見ていないし、一方で見ているものです。

とはいえ、限界を超えて行くことを常に求めるスタートアップでは、立ち止まって考える時間が得られず、それが故に不完全で、不完全故に余計に時間がかかってしまう、そんな負のループに陥ることも少なくありません。

兵は拙速を尊ぶ/急いては事を仕損じる

「適切なバランス」というのは書いているほど容易くは得られず、また得られたとしても刹那的なものです。いつだって現状と適切なバランスの間にある差分を見出すことこそ困難なことはないのかもしれません。

どうやら自分の場合は環境の劇的な変化がそれにあたるようで、労働環境、住環境、コミュニティの環境のこれらがいっぺんにくることで精神負荷が極端に上がっていたようです。

それをどうもしんどい、そう思い住環境を変更することにしました。

裁量が全くなくなるとよろしくないらしいことはどこかで読みましたし、まあ言われてみればそうだろうと頭では分かっていました。

しかし実際その身になってみると、言葉なぞは単なる記号に過ぎないのだなぁと改めて痛感しました。
やはり精神的な余裕を得る場所はある程度必要のようです。以前にもあったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことでしょうか。

継続的な余裕の無さは心をなくす。そして最後には人間の根源的な部分、自己防衛の体勢に入ります。
結果的に全体としてなんとかなればそれも笑い話なのですが、道の途中においてはそうもいっていられないのです。