2017年の抱負

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。毎年恒例の今年の抱負を簡単に書いておければと思います。

1. 心に余裕を持たせる

2016年は特に後半からはやたらと走り続けた一年でした。

『ベンチャー系行ったらレベルが高すぎて辛い。』という記事を見ましたが割とそんな感じです。組織の平均レベルに達していないから頑張る、けれどまだまだ足りていないというそんな状況が、徐々に焦りに変わっていくそういう負のループに陥りかけていた、もしくは陥りかけている状態だと考えます。

周囲にもその状況は気づかれているようで、実際にシェアハウスの方からは「帰りが遅くて自分の時間を取れていないように思う」とご指摘いただいてもいました。限りある時間を有効活用するのも大事ですが、あまりに意識しすぎて逆効果になっていることはないでしょうか。

なんらかの集団においてはどうしても、パレートの法則じゃないですけれど、ばらつきは必然的にできてくるものなんだろうと思っています。そして今の私にとっては、ついていくために努力が必要な立場だと思っています。

今の状況に甘んじることはできますし、さらに上を目指すこともできます。ただどちらにしても、せっかくのエネルギーも空回りしてしまうのはもったいないです。急いては事を仕損じるとも言いますし、自分自身のパフォーマンスを最大限に発揮するためにも、もう少し意識的に心に余裕を持たせられればなぁと考えるのです。

2. 自分の軸を模索する

物事に多面性があるということは理解しつつも、何かを決断する際には自分の中に何らかの支持する主張が大事になってくると考えます。決めるということについては意識的に行ってきた2016年ですが、その根拠に説明可能なぶれない主張を持てていたでしょうか。

その時々で、支持する主張を変えることもできます。が、「自分自身として」確固たる軸のようなものがないと、長い目で見た時に一貫性を持たせることが出来ず、論理として破綻してしまうでしょう。

実際に数ある決断の局面の内には、その場しのぎの情報で何かを決めてしまうこともゼロではありませんでした。このメソッドの欠点は他者の強い主張に左右されやすいことだと思っています。

軸がないものですから、相反する二つの主張に触れた時は単なる事なかれ主義のように、気づけばまごついてしまうことも多くなっていました。これでは他者からの信頼も得られません。

何かをつきつめて、夏目漱石先生がおっしゃっているような、
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!
という実感を得られるような道を、模索していくことができればと思うのです。

いよいよ2017年、私にとっては20代最後の年を迎えます。上手くやりながら、流れに乗りつつ、生き残っていければと思います。