好きなことで生きていく

1,2年ほど前にYouTubeの広告に使われた「好きなことで、生きていく」というコピーをよく目にしていましたが、YouTuberでない私たちが好きなことで生きていくためにはどんなことができるのかを考えてみます。

好きなこととはなんでしょうか。少しざっくりしすぎていますかね。場合によっては実体が見えづらいかもしれません。ここではやりたいこと、と表すことにしましょう。

他方、生きていく、ということについてはまだ想像が容易です。生きるためには食べていかねばなりません。生きていく、というところは食べていくと言い換えることができそうです。

社会に出ると、食べるために稼がねばならなくなりますが、憲法で基本的人権が権利として認められている現代では、幸いにも自分自身の稼ぎ方を自分自身で決めることができます。

ここまで分からないなりに自分で動いてみた感覚値として、実は食事の口を確保すること自体はそこまで難しくなくなってきているのかもしれません。

特に昨今ではアフィリエイトを始めとするインターネットを通じた収入、副業解禁やクラウドソーシングの流れがあります。収入といえば社会人生活の長きにわたって一社から継続的にいただけていた(らしい)頃に比べて稼ぎやすくなっているに違いありません。

そして自分の力で糊口をしのげるくらいの収入を確保できる、ということに確信を持ててようやく、自分がどうありたいか・何をやりたいのかということに真面目に向き合うことができるのでないでしょうか。

では自分は何がやりたいのか好きなことはなんなのかということになりますが、こればかりはあらゆる手段を使ってでも自分で見つけていくしかないでしょう。既に決まっている方は僥倖だといえます。私はまだ分からないです。

やりたいことで食べていくのか、やりたいことを探しながら食べていくのか。

食べていく形は様々あるにせよ自分の仕事を稼業とするためには、それがどうやって相手に価値を与えられるか、こちらの求める対価を払っていただけるか、その意識が必要になってきます。

ビジネスの場におけるお金はとても神聖なものです。やはりなあなあで扱ってはいけないでしょう。

支払う側においても結果が想定より違うものであればその旨を素直に伝え、その先を話し合うべきです。受け取る側についても報酬が過剰・不足だと思えばその旨を素直に伝え交渉すべきです。

実際にはどちらかの発言力が増すこともありますが、原則として両者はお金の前では対等です。互いに納得感があってこそ、よいビジネス関係は築かれるものと思いますし、歪な関係はいつかは破綻してしまうでしょう。  

自分の中のやりたいことと向き合う面と、相手の要求に応える面。

その両面がしっかりとあって、私たちでもやりたいことで食べていく、好きなことで生きていくことができるようになるのではないでしょうか。