時間の配分と休息

日々、限られた時間をどう振り分けるかの決断の連続だと感じます。
仕事にあてるか、勉学にあてるか、他者にあてるか、はたまた休息にあてるか。

基本的に休息にあてる時間は、何の生産性もないため優先度が低くなされがちです。かといって休息をとらないとできることもできなくなるのは、過去の経験から自明のことといえます。

そこで休息をとる勇気なぞを振り絞ってみて形だけは休みとしてみても、頭の中は走っているプロジェクトのことでいっぱいであったりして。

休む時は休む、ということでパッとスイッチを切り替えられれば苦労もしないのでしょう。

が、そもそもその休みは必要なものなのか、ただサボっているだけじゃないのか、休みに入れるだけのアウトプット出せてる?なんて自分に問いかけてみると生煮えの返事以上のものは出てこない時もままあります。

行動と休息の配分を、生産性や成果を効果としてみた時に、費用対効果が最大となるような適切な配分をとれれば良いのです。

しかしながら究極、最大値を求める以上は現状がそれであるという感覚はそうそう得られるものではなく、常に自らに疑問を投げ続けることになります。

「適切な配分」にしても、今以上に効率的な働きを訓練によって得られるのではないか、という期待もしくは焦りもあります。

現状維持は衰退と同じ。言ってしまうのは簡単ですがそれを実際に行おうとする限りは自分で自分をいじめ続けなければなりません。
ベストじゃなくて、ベターを目指すんだ
高専時代に恩師によく言われたものでした。思い詰めている時は自然と肩肘張って、柔軟性がなくなっているものです。ふと力を抜いてみると全く違った見え方をすることもあるかもしれません。

とはいえ弱肉強食の昨今では求めないと与えられることはありませんし、訓練無くして成長はないでしょう。

そこで、例え誰から何を言われようと、まあ体が丈夫なうちは、精一杯背伸びの一つでもしてみようかと思われるのです。