シン・ゴジラを観てきました

『シン・ゴジラ』を観てきました。

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娯楽というよりもメッセージ性の強い作品で、これをおかずとした思索がはかどります。私の感じたことを書きなぐった後は、いろいろな人の感想を探してみたいと思います。

ネタバレとなりますので、続きを読まれる際はご留意ください。また、もしかしたら記憶違いでディテールの違うことを書いているかもしれないです。ご容赦ください。

ストーリー

序盤は政府のゴジラに対する初動の悪さが印象的です。無能の象徴として描かれている首相や官僚はメッセージ性としてそちらに倒されているのでしょうが、現実社会の安倍首相であればもっと決断してもらえるかなぁとか妄想しながら鑑賞していました。

マニュアルがないから動けない(暗にマニュアルがあれば強い)という描かれ方は、現実社会における震災や災害へのオマージュだと受け取りました。この体質は最後に矢口だったか、巨大不明生物が現れた時のマニュアルを整備しようといっているところにも現れています。

最初のゴジラ、目がギョロッとして気持ち悪いですね。怪獣というより深海生物で生々しい気味の悪さが、私の中でゴジラと身近な恐怖とを関連付けられて良いです。
 
よくよく観察すると初回登場時のゴジラは非常に脆そうです。この時点で攻撃していたら、というifを考えるとまたなかなか味わい深いものになります。

実際には第四形態にいたるまで一度も攻撃していないわけですが。問題を先延ばしにした結果、問題が強くなってるのマジRock。

ただ、現実には問題を正しく把握するのが一番むずかしいというのはあり、そこもまた妙なリアルさがあります。

結果からみると、序盤では問題を正しく認識出来ていなさそうなところにも可笑しさを感じます。

実際には「ゴジラをやるか、ゴジラにやられるか」の軸であるのに、実際争点になっているのは、「攻撃して良いのか庶民が巻き込まれるのから攻撃すべきではないのか」になっている。

最初期は捕獲だとか追い出しだとかいう話もありましたね。想定と実際との間で、問題の次元が噛み合ってない感じもマジRockです。

まあでも、突然わけの分からん、想像の範囲から飛び出た生物が現れたらどうにもならんですよね。

あとは平和な時代が長いから、それが生命を脅かすとか想像しづらいですよね。作中では確か「根拠のない楽観」という表現も出てきました。平和ボケといったところでしょうか。

話が進むに連れて「ゴジラやべーんじゃね?」というのが分かっていきますが、国として『ゴジラを駆除する』という覚悟はなんやかんやで、都心を破壊される(ゴジラがビーム出すまで)まで完全にはできていなかった感じがあります。

このあたり、ある一面からみた時の日本らしさが発揮されたことによって、状況がどんどん悪くなっていっちゃっていく様を上手く表しているのかな、と。

途中、石原さとみさんが演じる米国特使の発する


私の国は大統領が決める、あなたの国は誰が決めるの?


という言葉にドキッとします。

状況がもにょもにょしていたところに、異端者・矢口が巨災対を編成し、ようやく役者が揃った感じがあります。自分の進退よりも状況を適切に理解し、手を打とうとする。どうも変人しかいないですが、素敵なチームです。

とかとかありつつ、結局、街が壊滅し、大惨事にいたっちゃうわけです。

ここまでは日本のいわゆる悪いところがフォーカスされて何かとつらいことばかりでしたが、後半は日本の良いところに焦点が当たります。

核兵器でドカーンじゃなくて根回しして何とかコトを進めようとしていく様は、普段の仕事術にも通じるところがあるかもしれません。

無人運転の新幹線・在来線(爆弾)、建物に地道に爆弾しかけておくところ、血液凝固剤を地道に投入していくところなどは超日本的だと思っていて、そしてやっぱこういうところに強みがあるんだよなぁと感じ入ります。

「首相がフランスを止めている」って、じっと頭を下げて謝罪しているのとか最高ですね。何も大したことしているわけではない。格好も悪い。でも引かず、譲らずやり続けて、結果として核を使わさせずに済んだのですから、それは意味のある謝罪です。

謝罪の件もそうですが、後半総理代理になる里見さんはやる気なさげに見せながらもちゃっかり押さえるべきところを押さえています。

最後は責任をとって辞任という形で後進に席を譲ったり何だかんだ強いです。初回ゴジラ登場時は外遊しているとかもウィットが効いています。

後半出てくる「スクラップアンドビルドでやってきたんだ、今度だって立ち直れる」という言葉が刺さります。

ここで物語は幕引きですが、きっと良くなっているという確信をもてるところで、救いがあるのだと思います。

最後、ゴジラを完全に処理していないのに、「終わり、打ち上げだ!」みたいな見せ方も何だか愛嬌がありますね。あらあらまあまあ

演出

淡々とした展開やテロップの見せ方は元ネタの特撮作品へのリスペクトだと受け取りました。
BGM良かったですね。耳に馴染みのあるゴジラのテーマソングも、違った聴こえ方をしました。知っているテーマより、怖さ増しましです。

ゴジラは基本的に恐怖の対象だったのですが、活動を停止するところは画面も合わせてある種の神々しさがありました。

作品中ではどっかどっかと人が亡くなったり大変なコトになっているはずですが、個々の人の死や傷ついている様子を個々では取り上げず、全体の動きにフォーカスした見せ方でした。

比較して良いものかわからないですが、『シン・ゴジラ』をパニックものとしてみた時に北米ドラマである『24 -Twenty Four-』シリーズとはまた違う『シン・ゴジラ』の見せ方なのかな、と思いました。

総評

奇しくも今日は広島に原爆が落とされて71年目の日に当たります。まもなく日本は戦争を経験した方のいない時代に突入しようとしています。それは見方によってはゴジラと同じ、未知であるものに立ち向かうことになると思います。
 
歴史はなくなりませんが、人の記憶は記憶。もし、今の世の中において記憶がタガになって平和が維持されているのだとすれば記憶が完全に歴史になった時、どんな展開を見せるのでしょうか。

賢者がごとく核を落とされた歴史から学んで、平和を維持し続けられるか。それとも、経験から学んでしまうのでしょうか。歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

あくまで単純化されていますが、『シン・ゴジラ』では日本のことが様々な視点から描かれていると思っています。
 
それは結果としてみれば、悪かったことも良かったこともある。一方的にこき下ろしているわけではないことから、この作品が単純な日本の体制批判ではないことが分かります。むしろエールを送っている。
 
日本が持つ特性を示した上で、日本のことを決めるのは他国ではなく、他人じゃなくて自分だと。

一言で表すのであれば、


好きにしろ。

そういうことなんだと思います。