発信することへの恐れ

発信することよりも、ただただ情報を仕入れてそれで満足することが増えたなと感じます。ここ数年は特に。

何かしら発信する過程で文章を推敲することで、結果として頭の中を言語化する訓練になるのは確かです。 この能力はチーム開発のみならず、様々なメンバと円滑にやりとりを行う上でも役立つはずです。

という発信の明確なメリットが分かっているにも関わらず、実際にはそこまで行動に移せないのは何故でしょうか。

もちろん純粋な時間のなさだったり、頭の中でどこか発信するまでもないネタである、と感じていることも理由の中にはあるのでしょう。

しかし、そのような分かりやすい理由の他に、よりエモーショナルな理由として誰に見られているか分からないという恐れがあるのかなと考えることがあります。

現実での社会とインターネット上での社会が明確に分かれていた私の学生時代から比べると、現在は明らかにデジタルが世の中を侵食しています。巷ではDXなんて叫ばれています。

そしてなまじ活動期間が長くなり、その領域が広くなってくると自分自身の見せ方が多様化してくることに気づきます。 ある角度から見ると開発者、ある角度から見るとベンダー担当者、ある角度からみるとVC、ある角度から見るとICTの専門家。

洗い出してみると私自身には存外に軸があるようにも見えるのですが、一方でそれぞれのロールによって相手方の属性は大きく異なります。 開発者ロールであれば開発者や同期・同僚を、ベンダー担当者であればマーケターやミドルマネジメント*1、VCであれば経営者、ICTの専門家であればキャピタリストや各種士業の方といった具合です。

となると発信内容もどこかで登壇する際に聞き手を想定するように、誰向けなのかということを前提におかなければと考えてしまうのです。そしてこれが難しい。

なまじ発信主体が自分自身のアイデンティティと密接に紐づいているがゆえに、下手な(誤解を招く)内容は書けません。自分が想定できるあらゆる受け手の最大公約数で求めると、ご想像の通り凡庸なことしか書けなくなってしまいます。面白いはずもありません。

このノンジャンルでのアウトプット → あらゆる受け手への配慮 → 凡庸な内容 → 反応の乏しさ(次につながらない)という負のフィードバックループそのものが発信を促進させない理由の一つとなるのではないでしょうか。

*1:MAツールを取り扱っていたので